SSブログ

「ネクスト・トゥ・ノーマル」の心理(家族編)・ネタバレあり [ミュージカル]

それではお約束通り「ネクスト・トゥ・ノーマル」の心理(家族編)を書いていこうと思います。約束したからというより、私自身にとって家族は一生のテーマだと思っているので、この家族のことをずっと考えていたのです。私なりにこの家族を考察するのに情報が十分ではありませんが、わからないところは想像で書いてみます。

ネタバレあり。


■家族システム理論
この家族について考える前に、私の考え方のベースになっている家族システム理論について説明します。家族療法のベースになる家族システム理論は一般システム理論をもとにしています。一般システム理論は例えばコンピュータシステムとか社会の中での色んな仕組み(=システム)のようにシステムは様々な要素が互いに影響しあって機能しているという考え方です。それを家族にあてはめたのが家族システム理論です。「家族システムは家族成員が相互に影響しあってなりたっている」ということです。そんなの当たり前?そうですよね(笑)。

この理論のいいところは「悪者をつくらない」「犯人探しをしない」ということ。例えば子どもが不登校になったとします。ふつうに考えたら、何で学校にいけないのか、いじわるする子がいるのか、親の育て方が悪いのか、本人がデリケート過ぎるのか・・・などと原因探し、犯人探しをしがちです。家族システム理論ではこういう困った症状を「関係性の病」ととらえます。症状を出している子はIP(Identified Patient=患者とされている人)とし、IPは家族の問題を表現している人と考えます。IPが症状を出すことで、家族は両親の不仲や、嫁姑問題など、家族の本当の問題から目をそらすことができます。IPの問題を解決しようとすることでバラバラになりかかった家族が結束できてしまう。そうなるとその症状が治っては困るわけです。治ればまた家族はバラバラになってしまいますから。

これは非常に単純化した説明なので、決して問題はすべて家族のせいと言っているのではありません。学校にも会社にも地域にもシステムがあり、成員が影響をおよぼしあっています。それを家族システムで代表しています。というのは家族は人が初めて出会う社会システムであり、そこで学んだ関係性のパターンが他のシステムの中でも再現しやすいのです。家の中で仕切り屋の人は外でもそうだったり、面倒なことを押し付けられがちな人は他でもそうだったり。そんな自分に気づいたらまず自分から変わってみる。システムは相互に影響しあっているので誰かが変わるとシステム自体も変化(良くも悪くも)していきます。逆に誰かを変えようと思うとうまくいきません。誰でも自分は変わらずに相手に変わって欲しいと思うもの。だって自分の価値観が「正しい」とか「常識的」と思っているから。「変われ変われ」と言われると「絶対変わるもんか」と思いますよね。それは相手も同じです。だから学校にいけない子に(自分は変わらずに)行け行けと行っても効果が薄い。その子が行けなくなっているシステムの歪み(本当の問題)に向き合うことが必要なわけです。

■「ネクスト・トゥ・ノーマル」の家族
・最初の状態
家族システム理論の考え方でいくと、グッドマン家のIPは誰だでしょうか?症状を出している人ですから、ダイアナですね。彼女がこんなに長い間病気を抱えていたのにはそうならざるを得ない事情があったのでは?そういう視点で考えてみようと思います。家族システム理論でいえば、誰かが変わるとみんなが変わっていきます。固定化されたグッドマン家の家族システムがどう変わっていったのか。私はナタリーがキーパーソンだと思っています。

物語のはじめ、ダイアナが 病的である以外ふつうにみえる家族。この家族には暗黙のルールがありました。幼くして亡くなった息子ゲイブについて語ってはならない、彼はいなかったことにしなければならないと。ダンは悲しい記憶を消せば辛くなくなると考え、よかれと思ってダイアナにもそれを求めました。でもダイアナは忘れたくなくて、ゲイブの妄想を作り出してしまった(現実にこういうことが起こるかどうかは別として)。一方ダンは病気のダイアナを献身的に支えることに徹することで、ゲイブを失った悲しみから目を背けることができていた。つまりダイアナにとってもダンにとってもダイアナが病気である必要があったのです。だからこそ長くこの状態が続いてしまったと考えられます。

そういう家庭で育ったナタリーもこのルールを守る必要があり、ダイアナを支える役割りを与えられていました(ダンが「お前が安心できるかじゃない。お母さんを支えなさい。」と言う場面が象徴的。)ナタリーは最初から期待外れの子でした。子供を失ったダンとダイアナはすぐに次の子をもうけ、男の子だったらゲイブの身代わりとして(もしかしたら名前もゲイブにして?)育てるはずでした。でも産んでみたら期待に反して女の子だった。だからダイアナはナタリーを抱けなかった。存在を認めてもらえない「透明な娘」だったナタリーは、両親の注目を得ようといい子になろうとし、勉強も頑張って成績優秀に。ダイアナもそれは認めているけれど、愛情を傾けるにはいたっていない状態でした。

余談ですが、仮に、生まれた子がもし男の子だったら?両親から溺愛されるかも知れませんが、それが自分自身としてではなく「死んだ兄の身代わり」として愛されていると知ったら、それこそ存在の全否定になり、その子もキツイと思います。

もうひとつ余談ですが、特に女性は子ども(特に同性の)を育てている時に自分が親から育てられてきた時のことが再現し、自分が親と上手くいっていないと、子どもとの関係にも影響することがあります。あとで述べますが、ダイアナと母の関係も気になるところがあり、もしダイアナがナタリーの育児を放棄せずに没頭したならば、そこでちがう問題が出てきた可能性もあるかなと思います。

家族みんなが行き詰まっていて、崩壊寸前でした。

・変化の始まり
ダンとダイアナが変わりようのない共依存関係になっているこの家族を変える力があるのはナタリーしかいないと思います。ナタリーも「これからパパとセックスしてくるわ」なんて言ってしまう母に戸惑いつつも何も言えない状態で、彼女なりに適応しようとしていました。そんなナタリーが少しずつ変わっていったのはヘンリーとの出会いからだった気がします。

注意欠陥障害があるというヘンリー。集中して物事を完璧にこなすナタリーとは全然違うタイプ。ヘンリーはクラシックを極めたナタリーに「クラシックは楽譜どおり弾かなくちゃいけなくて面白くない」といいます。つまりルールを破っていいのだと(最後の方でダイアナがゲームのルールを守るのに疲れたと言っていますね)。ナタリーはそんなヘンリーに興味を持ちます。その後、ナタリーはピアノ・リサイタルでまさかの大失敗。出だしで間違えてそのまま弾くのをやめてしまったのです。そこが完璧主義のナタリーらしいところ。ちょっとくらい間違えても弾き続けることもできたのに、ナタリーは自分のミスが許せなかった。そして突然クラシックを批判して即興演奏をはじめます。

All or Nothingで、ちょっとでもダメなら全部ダメという極端な生真面目さは、うつになりやすい人の考え方の特徴といえます。同時に気性の激しいところもあり、ナタリーとダイアナと似た傾向があるようの感じます。ナタリーはダイアナほど病的ではないですが。

・ダイアナとゲイブ
ダイアナの治療が進み、心理療法の中でダイアナは自分の息子について語り始めます。そこでドクター・マッデンは「息子の遺品を片付けてナタリーとの時間を増やして」と、思春期の息子が家を出るようにダイアナがゲイブを手放すよううながします。ダイアナも了解しますが、赤ちゃんの遺品を整理するうちに落ち込みがひどくなり、自殺未遂することに。

ドクター・マッデンの電気痙攣療法を提案され、ダンはそれをダイアナに受けてもらおうと考えます。ダイアナとナタリーは猛反対。でも、ダンは彼女を失いたくなかった。だから自殺を防ぐためといわれたこの治療を「これが最後のチャンスかも。」といって、ダイアナを説得しました。

治療の結果、ダイアナが記憶を失い、ゲイブのことも忘れてしまい、一見問題は解決したようにみえました。都合のいい思い出だけを思い出すよううながして、つらい記憶をなかったことにしてしまえば、悩まないですむはずだと。しかし実際はそうはいかなかった。ゲイブをダイアナの心の深いところに押し込めただけで消えたわけではなく、そしてそれが表面化した時に、ダンとダイアナは決定的に衝突します。もう一度治療を受けさせようとするダンと抵抗するダイアナ。そこでダイアナの側についたのがナタリーでした。

・母と娘
今までは母の治療に関しては蚊帳の外だったナタリーがはじめて母ダイアナを病院に連れて行きます。ヘンリーと行くはずだったダンスパーティーに行けない覚悟で。そこでダイアナは変化して、ドクターに別れを告げます。なぜダイアナは変化したのでしょう?ここではじめてダンのコントロールから外れたからかも知れません。

ダイアナはこれからはナタリーの母としての自覚を取り戻し、彼女の幸せを考えていこうと決断しました。自分の犠牲にせずに、彼女の幸せのためにダンスパーティーに行かせてあげなくてはと。そして、はじめてナタリーと向き合おうとします。そんなダイアナにナタリーも「ママが死んで欲しいと思う一方、ママがいなくなったらどうしようとも思っていた」という母への思いをはじめて口にします。これまでは病人と支援する人の関係だった二人が母と娘の関係に戻ることができました。

それでも半信半疑なナタリーに、ダイアナがはじめてナタリーにゲイブの死について語ります。ゲイブの死を認め、それを口に出すことができた。それは大きな変化です。ナタリーのためにふつうの生活を取り戻したいと伝えます。それに対してナタリーは「”ふつうの生活”なんてあまりにも遠いから、ふつうの隣(Next to Normal)くらいでいいよ」という。完璧主義者だったナタリーが、曖昧を許すことができた。そのことでナタリーもダイアナも楽になったと思います。

・ダンの変化
ダイアナが家を出る決心をして、ダンに伝えます。一緒にいればまた依存しあう関係に戻ってしまうと無意識に察知したのでしょう。それはダンにも変化をもたらします。「ダイアナを支える」という役割に没頭することができなくなり、ダンははじめて息子を失った現実に向き合うことができました。だんがダイアナの妄想の中のゲイブがみえたような反応をして名前を語りかけるシーンです。これは比喩的表現で実際にはゲイブはみえていないと私は考えています。

そして、ドクター・マッデンにダイアナの消息を聞いた時に「誰か話を聞いてくれる人を紹介しましょうか?」と言われ、一瞬迷いながらも「お願いします」と言えたので、これからダンも気持ちの整理をしていくことになるのでしょう。ドクターが紹介する「誰か(someone)」というのはカウンセラーということなのかな。または別の医者か。ドクター・マッデンはダイアナの治療をしているので、そこでダンもというと、双方からの話を聞くことになりやりにくいということもあると思います。気になったのは、別居中の夫に治療を続けていることを話してしまうことは本当は守秘義務違反だということ。心情的にはわかりますが本当はNGです。

ダンはダイアナをずっと支えて助けてきたけれど、彼も1人の人間であって、自分なりに生き延びる必要がありました。結果として、それがダイアナの病気を長引かせたとしても、それはダンが悪いということにはなりません。彼も必死だったのです。みんな必死だったのです。家族療法が誰も悪者にしないというのはそういうことです。

・ダイアナと両親
なんとなく、それぞれに希望がみえた感じで終わるN2Nですが、私が気になっているのはダイアナが実家に帰ったことです。ダイアナの話から、お母さんもダイアナに似た傾向(双極性障害)がありそうな感じがします。ドクター・マッデンのカウンセリングの中で「私は子どものころから母に活発だと言われていた。母も活発でPTAを追い出された。」と語っている場面もありましたね。

家族システム理論では、世代間で共通するパターンが引き継がれることも示唆しています。おばあちゃん、ダイアナ、ナタリーは程度の差はあっても似た傾向がありそうです。学生時代に妊娠がわかり、駆け落ちして結婚したダイアナはその時点で母のもとを離れているわけですが、それ以前はナタリーのように母の言動に振り回されていたのかも。そこに戻ることがダイアナにとってあらたな試練になる可能性は否定できません。同様に、ナタリーも、ダイアナが家にとどまっていたら、ふたたび母娘葛藤に陥る可能性もあったわけです。

家族が変化して3人が2人に、ダイアナの実家は2人が3人になるわけで、そのことでどんな化学変化が起こるかは未知数なところがあります。

そういう意味で、この作品は家族の物語の途中経過であって、彼らの人生は続いていくのです。それはダイアナ編でも書いた通りです。

グッドマン(いい人)という名字のこの家族がどう生きてきて、これからどう生きていくのかを私なりに想像してみました。いつもながら長い文章におつきあいいただきありがとうございました。


◆「ネクスト・トゥ・ノーマル」公式サイト
 http://www.tohostage.com/ntn/

◆ブロードウェイ版CD
Next to Normal

Next to Normal

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Ghostlight
  • 発売日: 2009/05/12
  • メディア: CD


◆ブロードウェイ版台本(英語)
Next to Normal

Next to Normal

  • 作者: Brian Yorkey
  • 出版社/メーカー: Theatre Communications Group
  • 発売日: 2010/07/20
  • メディア: ペーパーバック


◆楽譜
Next to Normal for Piano/Vocal/Chords: Vocal Selections

Next to Normal for Piano/Vocal/Chords: Vocal Selections

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: Alfred Pub Co
  • 発売日: 2009/11
  • メディア: ペーパーバック



コメント(2)  トラックバック(0) 

コメント 2

まろん

はじめまして。とてもわかりやすく納得できるお話をありがとうございました。

私も初見でダンとダイアナの共依存関係がとても気になりました。アルコール依存症の夫と献身的に世話をする妻の関係の場合、実は妻のほうに共依存傾向があると聞いたことがありますが、ダンとダイアナの場合も、ダンが無意識にダイアナの回復を阻んでいるのでは?と感じる個所がいくつかありましたよね。
心理療法から帰ると涙を浮かべているけれど、あの医者は本当に信用できるのか?と聞いたり、ゲイブの荷物を整理しているダイアナにあえて「彼はいない」と言ってみたり。
献身的に世話しつつ、ダンはダイアナに実は治ってほしくない潜在的な意識があるのかなと感じました。
だからラストにダンが赤い服を着ていたのが怖かったです。

母と娘の関係のお話も、すごく納得でした。
私自身も母からコントロールを受け、依存されてきたので、ナタリーの気持ちがすごくよくわかります。むしろナタリーに娘が生まれたらどうするんだろう、透明だった自分を取り戻すべく溺愛するのか、愛されなかった自分を重ねて嫉妬するのか、自分と同じいい子を要求するのか・・・そんなことを考えて観劇してました。

ダイアナがダンと別離したのは一歩進んだ感がありましたが、実家に戻ったことが私も気がかりですね・・・。

家族の「その後」の想像もどんどん広がってついつい語ってしまいます。
長々とスミマセンでした。
by まろん (2013-10-10 14:40) 

himika

☆まろんさん
コメントありがとうございます。

家族間のバランスは本当に難しいですね。
誰もがダイアナの病気が治ることを願いながら、結果としてそうでない方向に(ダイアナも含めて)動いてしまっていたわけですが、実はこういうことはよくあることなんですよね。

ナタリーの子どもまで想像されましたか〜。
確かに、そこも気になるところですね。
「自分はこんな親にはならない」と思っても、親から習っていないことはなかなかできないので、子どもに愛情をかけることが難しいかも知れません。また、子育てしていると、子どもに過去の自分の姿が重なってしまい、自分がしてもらったこと、してもらってないことに気づいてつらくなったりする場合もあるでしょう。

でも、そこを自覚して、子育て支援機関とかで相談したりとか、親子関係の問題を整理するためにカウンセリングを受けるとか、克服する手だては色々あるので、それによってナタリーと子どもの問題がクリアされる可能性もあると思います。

よく「世代間連鎖」といいますが、それは可能性のことであって、確実にそうなるわけではありません。きょうだいで影響の出方がちがったりもするし、どういう人と出会っていくかによってもかわりますからね。「何か変だ」とか、「生きづらいな」とか、自覚できれば変わっていけるので、希望を持って欲しいです。

こういうドラマを見て、心の病を抱えた人やその家族について関心を持ってもらえることはいいことだと思いますが、一方で、誤解や偏見のもとにならないといいなとも思います。そのためにも「誰も悪くない」という家族療法の考え方をお伝えしたいと思ったのでした。

どんな家族も色々あるけれど、そんな中でも小さな光をみいだして行きたいですね。

by himika (2013-10-11 19:35) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。